マンデ(マンディンゴ?)あるのみ
多くのジンベ愛好家が、ギネスタイル、マリスタイル、セネガルスタイル、ブキナスタイルなどに関する話をするのをよく見かけますが、彼らはあまりにも地域的相違を強調しすぎるために、そのような区別が生じてしまったように思われます。(が、しかし)ここで心に留めておきたいことは、どの音楽もマンデスタイルという事です。全てはマンデが発祥の地なのです。ギネ、マリ、セネガル、ブキナファソ、アイボリーコースト、ガンビアは、(かつて)マンデに属していたのです。どこの国の(リズム)スタイルを学んだかということで、ジンベ愛好家の中に境界線が広がっていくのを気ずかずにはいられません。
ジンベはひとつなのです。人類の移動や(それぞれの)文化はリズムに違いを生みます。個々のリズムにはそれぞれの発祥地や歴史がありますが、それらの由来を完全に理解、把握したうえで、どのように人々は移動し、融合され,民族間の相違までに、発展していったのかを理解することは必要不可決なのです。これらは,かなり奥の深い(複雑な)問題(提議)ですが、我々はこの道筋に冷静に従いながら、(かつ)柔軟な気持ちで、永久に学んでいく事が重要なのです。
ソロ、次は私の番?
私は常に伴奏の重要さを強調しています。伴奏こそ、一番の地位なのです。素晴らしい伴奏なしではソロは存在しないのです。腕前の良いソロ奏者には、格別、音の素晴らしい伴奏者がいます。伴奏が十分に、洗練されていないうちは、ソロを演奏しようという野望は押さえるべきでしょう。
あまりにも多くの人々は、ソロを演奏したい願望が強い為に、伴奏をやりたがらなくなっています。(そのため)ソロの番に控えようと、安っぽく弱々しい伴奏をして、力を使いすぎないようにするジンベ奏者とともに、私は(いやというほど)、何回も演奏してきました。伴奏をするときは、自分の心と魂をその中に託す必要があります。それが実行されて、ソロ奏者は素晴らしい演奏に必要な真の(伴奏)補助が得られるわけです。このような敬意を払えば、あなた自身がソロを演奏する時にも同じような敬意を与えられるものなのです。我々は、お互いに助け合わなければいけないのであって、強いソロ願望にとらわれるべきではないのです。靴のヒモひとつ、ろくに結べずに走ることばかり考えるような人間になりたいですか?。
もし誰かのソロがよければ、あなた自身も幸せを感じ,共に楽しんでください。それが全て私の言いたいことなのです。
私は、もし誰かがどうしてもソロを演奏したくて、自分を抑えることができなければ,放っておきます。これこそ、彼らにとって肩の力を抜き美しい伴奏を味わう絶好の機会だからです。そして、地に足を張って戻ってきた時、初めて、ソロ演奏のチャンスを得られるのです激しい闘争心や嫉妬心などはジンベにはあり得ないものです。競争する代わりに冗談を言い合ったりして喜びを分かち合うことを知ってるのが真のマスターなのです。
智慧っていくら?
あなたはジンベを学ぶためにいくら支払っていますか?個人レッスンに1万円払えば3000円の通常のクラスより多く学ぶことができるのでしょうか?ジンベの知識はお金で買えるものでしょうか?
ジンベに精通するということは、師に敬意を払ってこそ、そこから始まり、生徒に受け継がれるものなのです。生徒が敬意を払えば、師も同様に生徒を尊敬するものです。師は生徒の意図を見抜くだけではなく、彼らがどのように周囲の人々を扱うか、見ているのです。邪心にとらわれた生徒に、師は意図的に、何も伝えようとしないでしょう。
不可能なジンベの無理強い、、、、、
スンガロ クリバリー, アダマ ドラメ ,ディボ カマラ, ミゲル カマラ らの言葉を借りれば、「ジンベを無理強いすれば、自分自身がジンベによって無理強いさせられることになる。」といわれています。良くなりたければ、リズムを心から受け入れ(それに)従う事です。さもないと精神力(心)そのものが抑圧されるでしょう。正しいリズムを心から演奏したいと思い、あるいは、通常の演奏以上に良いリズムと思えるのに何故か心で「いや、違う」と感じる日があります。リズムがうまくいかないときこそ、それぞれのリズムには拍子や間があることを.充分、理解、考慮し、より強い意識をつちかうことが大切です。明らかに違うリズムにもかからわず、30分も40分も練習しつずける人は少なくありません。アフリカでは、そんな光景を目にすることは有り得ないのです。あるリズムがうまくいかなければ、即違う歌やリズムに入るのがアフリカ人のドラマーです。我々がどのリズムを演奏するのか決定するよりも、むしろその代わりに、心が何を要求しているのか、問いかけるために、耳を傾けようとしていることを理解する必要があるのです。